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「人の寝首をかく」という

言葉がありますが、

その昔、ユダヤのヘロデ王は、

前王の妃を不当に娶ったため、

バプテスマのヨハネは

激しくヘロデ王を攻撃しました。

ヨハネのことを不快に思うヘロデ王は、

ヨハネを牢屋に入れました。

ヘロデ王が、

その兄から不当に妃を娶ったため、

本来は妃は、

ヘロデ王の義理の妹にあたります。

妃には、前王との間に、

サロメという娘がいました。

ある日、宴会の席があり、

ヘロデ王は、

舞の名手であるサロメに、

宴会の席で踊るように勧めました。

サロメは見事な舞いぶりで、

周囲を喜ばせ、

ヘロデ王は、

褒美を取らせるとまで言いました。

そこで、

サロメは何を願い出るべきか、

母である妃に問うと、

妃は、

ヘロデ王が自分を娶ることが

不当だと言った

ヨハネを殺せるチャンスだと考え、

サロメに、

「バプテスマのヨハネの首を

願い出なさい。」

と命じました。

程無く、ヨハネの首が

銀の盆に乗せられて、

王宮にいる皆の前に

運ばれてきました。

同じ舞の名手であっても、

日本の静御前とは、

このサロメは大きく違います。




サロメは、

自分の舞を

殺人に加担する道具として

使いました。

でも静御前は、

北条政子に、

自分が生んだ源義経の

忘れ形見を殺された翌日、

神社の境内で奉納舞を舞わされた時、

鎌倉万歳の舞ではなく、

「静や静、静の小田巻繰り返し…….。」

と、自分のことをいとおしんでくれた義経が、

今なお愛しい、

何故あなた方は、この方のお子を殺したのか?、

と頼朝と政子に、厳しく問い質しているのです。

場合によっては、

政子は静を殺させたかもしれません。

でも、静の舞があまりにも見事だったため、

頼朝も政子も、

静を殺すことはできなかったのです。

ほかにも、静御前は、

後鳥羽上皇の面前で舞った折りには、

何人もの白拍子が

雨を降らせることができなかったのに、

100人目で舞って、

見事に雨を降らせると、

後鳥羽上皇から

「日本一の白拍子」

と称えられるなど、

舞の名手としての名声は、

揺るぎないものがありました。

上級者と初心者別の合気道技一覧・武術家に必要な正義感と勇敢さ

上級者と初心者別の合気道技一覧・八の組杖までとそれ以降の違い

稽古第九十八日目の本日は、

下記のようにスケジュールを組みます。

1.八の組杖            相対動作   1人5分 × 2人

2.六の杖              相対動作   5分   × 2

3.十三の杖        相対動作   5分   × 2

4.三十一の杖       相対動作   5分   × 2

5.多数取り

上級者の稽古の場合、

大方ざっと稽古は、

こんな感じになります。

やり方は全て、

下記の動画で確認できます。

合気杖の組杖の方は、

基本的には、

仕手が杖を立て、

受けが突いていく体勢から

始めます。

しかし、八の組杖からは、

仕手受け共に、

突いていく体勢から

始めます。

そして、そこから、

仕手はひたすら、

杖を持って振りかぶったり、

杖を振り下ろしたりする

受けの隙をついては、

受けを追い込んでいくのです。




上級者と初心者別の合気道技一覧・武術家に必要な正義感と勇敢さ

上級者と初心者別の合気道技一覧・上級者も初心者も一緒の杖稽古

杖の稽古は、

合気道の技をまだよく覚えていない

初心者の方であっても、

一緒に行います。

下記の動画をまずご確認下さい。

上級者と初心者別の合気道技一覧・武術家に必要な正義感と勇敢さ

上級者と初心者別の合気道技一覧・総合武道としての合気道の大切さ

日本の武術で大切なのは、

決して自分の強さを

固持することではありません。

静御前のように、

正義の心をもって、

理不尽な殺人鬼を

問い質す勇気を

持つことだと思うのです。

この静御前のような人物こそ、

真の勇者だと言えるのです。

明治期に、

多くの外国人達が日本人女性に憧れ、

果ては妻にした人々もいました。

日本の史実に詳しい外国の知識人達は、

真に日本にある貴重なものを

見出だしていたのです。

私は、小学生の時に

バレエを習っていて、

将来は名バレリーナになりたい、

と思っていましたが、

中学に入ってから

剣道を習ったりすると、

日本の習い事に

目覚めていくようになりました。

バレエを止めた後、

日本舞踊も習いましたが、

やはり総合武道である合気道が

貴重だと考えるようになったのです。

上級者と初心者別の合気道技一覧・武術家に必要な正義感と勇敢さ

静御前は、

磯禅師、という

これはまた美しい白拍子の娘でした。

美しい白拍子が、

更に美しい白拍子を生んだ、

というわけですね。

現在の京都には、

静とか、磯などといった、

地名が残っていますが、

判官贔屓と言われてきた

日本人の気性が、

義経や静を慕い続ける気持ちを

起こさせたのです。

静は、義経の正室ではなかったため、

普段は母である磯禅師と

暮らすのが普通でしたが、

磯禅師、というのは、

静の母が出家してからの

名前です。

静は生涯、

勇敢な武将であった源義経を慕い続け、

頼朝と政子の面前でも

義経を慕う舞を舞いました。

頼朝の正室として

安定した地位にあって、

義経と静の間にできた

男子を殺した北条政子と、

正室として女性の地位が

安定していたわけではないが、

常に義経を助けるために

動いた静とを比べたら、

静御前の方が遥かに強く、

勇敢だったのです。

実は、武術家にとって大切なのは、

政子のように人を殺すことではなく、

静のように、頼朝と政子の面前で、

鎌倉万歳を舞わずに、

義経恋しや、と舞って、

義経の子を殺した

頼朝と政子のことを

問い質すことなのです。

正義感と勇気を持つことなのです。




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