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〈生きるか死ぬかは、自分の戦い方で決まる!✨〉

おはようございます!☺️

本日メインの技は、

座り技肩持ち側面入り身投げです。

下記の動画をご覧下さい。

https://youtu.be/xjkW69spV5E

 

“A foremost teacher
of swordsmanship,
when he saw his pupil

master the utmost of
his art, told him,

‘Beyond this my instruction
must give way to
Zen teaching.'”

「剣道の達人(柳生但馬守)は、
その門弟であった
徳川三代将軍家光公に、
剣の奥義を伝え終わった時、

『これ以上のことを
教えることはできません。
あとは、禅に学んで下さい。』
と言ったという話がある。」

本日の英文から、
新渡戸稲造氏の
『武士道』第二章に
入っていきます。

その前に、
昨日で7daysの投稿が
終了しましたことを
報告致します!✌️

自分がとぎれずに
バトンを
渡すことができたことを
誇りに思うと共に、

バトンを渡してくれた人と、
バトンを
受け取ってくれた人に、
感謝です。

大変なこともありましたが、
状況が
多少自分に不利であっても、
継続する必要のあることは、

最後までやり抜く、
と自分で最初に
決めてしまうことが
大切だと感じた次第です。

なお、この動画は、
YouTubeにも
アップしています。

昨日の外出時に、
いつも通る道に、
さきかけの白い紫陽花が
ありました。🌠

今年は、
白い綺麗な紫陽花が
見れそうで嬉しくなりました。

第二章に入るにあたり、
新渡戸稲造氏は、
武士道の淵源を
訪ねるにあたって、

まず仏教から
始めようとしました。

仏教は、
常に心を安んじて
全てを運命に任せるという

平常の感覚を
武士道に与えた、
と新渡戸稲造氏は、
考えています。✴️

避けることが
できない運命に対しては
冷静に服従するという、

危険や災難に直面した時の
ストイック的な
落ち着きと、

生を軽んじて
死に親しむ心を与えてきた、
というわけです。

第二次世界対戦の時、
広島や長崎に
原爆を落とされ、

日本軍の兵力が
弱体化し、
日本軍の敗色が
濃くなるにつれ、

米国側では日本兵の捕虜が
増えて行きました。

その時、米国側で、
日本兵を見ていて、
非常に驚きだったのは、

日本兵は敵側に
捕まってしまう前は、
どこまでも
積極的に戦うのに、

一旦敵側に
捕まってしまうと

まるで
魂の脱け殻のように
なってしまうことでした。

これは、
日本の武士の習慣を
知らなければ、
理解できないことです。

一旦武士という立場を取れば、
戦場に出て
戦い抜かなければなりません。

しかし負けてしまった武士は、
敵側に首を取られる前に
自害をするのが常でした。

これについては、
映画『ダ・ラストサムライ』で、

主人公
ネイサン・オールグレンが、
勝元に、

「我々の国では、
負けた敵側の
兵士の首を跳ねる、
ということはしない。」

と反論するのに対し、
勝元は至って平静を装い、

「自分が
育ったことのない環境で

行われている習慣
というものは、
理解できないものだ。」
と切り返しています。💫

日本の武士は、
「負けたら敵側に捉えられ、
自分は首を跳ねられる。

その前に自分で
自害するのだ。」
と考えています。

しかし第二次世界対戦で、
日本側の捕虜を
目の前に、

米国は
殺すことをしませんし、
かといって
自害もできません。

日本兵には、
「自分は何をするべきか?」
という感覚が、
欠落し、

魂の脱け殻のように
なってしまうしかなかったと
考えられます。

これが、
外国である米国との戦いでは、

負けても敵側に
捉えられるだけであって、
自害ができません。

敵側に捕まることは、
武士にとって恥という考えが
優先的に残っていたからです。

しかし、本来の武士は、
「敵に首を取られるまでは
負けたとは思わぬ。」
と考えて、

命のある限り
戦い抜いていました。

それでなければ、
武士が戦いに備えて
剣の腕を
磨く意味がありません。

新渡戸稲造氏の言うように、
「避けることが
できない運命に対しては、
冷静に服従する。」

ということは、
性に合わなかったと思います。

武士とは、
基本的に動的な存在であり、
静的な存在ではないからです。

第一次世界対戦後、
1933年に
日本は国際連盟を脱退して、
世界の孤児となりました。

同年、新渡戸稲造氏は、
すい臓炎が
悪化して亡くなりました。

新渡戸氏は、
その後の、
第二次世界対戦で

米国の捕虜になった
日本兵の姿を見ていないので、

武士道に対するイメージは、
私とは大分
違っていたのかもしれません。

しかし、
日清(1894-1895年)・
日露(1904-1905年)戦争と

勝ち抜いた日本が、
第一次・第二次世界対戦で
負けたことは、

日本兵にとって、
とてつもなく
大きな挫折であったことは、
確かです。

それが、米国に対する、
「早く殺せ。」
といった、

魂の脱け殻のような
態度になってしまったのは、
何となく
理解できる気がします。

ただ、これを
新渡戸稲造氏が見ていたら、

一体どういう
気持ちがしただろうか、
と私は考えます。

普段の生活から
剣の腕を磨き戦いに備える。
いざ出陣となったら、
自分の全生命をかけて戦う。

そこには、
新渡戸稲造氏の言う、

「避けられない
運命に対して
冷静に服従する。」

という
概念はなかったと思います。

「運命は自分で切り開くもの。
生きるか死ぬかは、
自分の戦い方で決まる。」

これが、
本来の武士道の考え方です。

武士達はどこまでも
生き抜くことに
執着していたはずです。

積極的に、
自分の人生を
切り開く覚悟がなければ、

命と命がぶつかる
戦場を駆け抜けることは
できないからです。

あなたの上に、
鈴蘭の花がもたらす小さな幸運が、
常に何かの折りに訪れますように!

ここまで読んで下さった方は、
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コメントを下さった方には、
以下のプレゼントを差し上げます。

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(2020年5月25日月曜日)

 

上級者と初心者別の合気道技一覧・上級者は両手持ち呼吸法(四)

上級者初心者別の合気道技一覧・上級者は両手持ち四ヶ条抑えと座り技

稽古第百四十八日目の本日は、

私なら

下記のようにスケジュールを組みます。

1.ひりきの養成(一)(二)            相対動作   1人5分 × 2人

2.   肩持ち肘締め(一)(二)              相対動作   5分   × 2

3.座り技肩持ち側面入り身投げ(一)(二)        相対動作   5分   × 2

4.休憩 5分

5.肩持ち側面入り身投げ

(ー)        相対動作   5分

6.   肩持ち側面入り身投げ  (ニ)        掛稽古 10分

7.   肩持ち肘締め小手返し        掛稽古 10分

8.終末動作(一)(二)              相対動作

上級者の稽古の場合、

大方ざっと稽古は、

こんな感じになります。

最初に相対動作を一人5分ずつ行い、

次に基本技を5本ほど5分ずつ

行っていきます。

掛稽古で行う投げ技は二つです。

ここで一時間の稽古一コマ終了で、

終末動作を相対動作で行って、

締めくくります。

上級者と初心者別の合気道技一覧・上級者は両手持ち呼吸法(四)

上級者と初心者別の合気道技一覧・初心者は両手持ち天地投げのみ

これに対し、初心者の稽古は、

体操から始まります。

体操を5分行ったら、

体の変更(一)(二)と

ひりきの養成(一)(二)を、

単独動作で10分程度行います。

その後、正面打ち四ヶ条抑え(一)を

15分程度行った後、

5分休憩し、

次に正面打ち四ヶ条抑え(二)も

15分程度行ってから、

(一)(二)を5分間復習した後、

残りの10分程度で

また基本動作を行いますが、

稽古終了時は必ず

終末動作(一)(二)を行います。

 

上級者と初心者別の合気道技一覧・上級者は両手持ち呼吸法(四)

上級者と初心者別合気道技一覧・上級者は両手持ち小手返しとすみ落し

さて、本日第百四十八日目の上級者が

稽古する基本技は、

両手持ち四ヶ条抑えと

その座り技です。

第百日目までの稽古で、

徒手の技から、短刀・木剣・杖と

一通り合気道の稽古を続けていく際に必要な

内容は済んでいます。

後は、

あなたがどれだけ覚えているかに

かかっているのですが、

一度やっただけで

覚えてしまうことができる人などいないので、

自身で機会を見付けては、復習をしていくことが必要なのは

言うまでもなく、

第百一日目からの稽古は、

同じ基本技でも、

座り技まで全て稽古し終えているかどうか、

漏れがないかどうかを、

一つずつチェックしていきます。

上級者と初心者別の合気道技一覧・上級者は肩持ち肘締め小手返し

本日、

第百四十八日目の上級者が

稽古する投げ技は、

肩持ち側面入り身投げ

肩持ち肘締め小手返し

です。

 

 

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