上級者と初心者別の合気道技一覧・上級者は応用技と変化技の稽古
公開日 : / 更新日 :
おはようございます!
本日メインの技は、
座り技胸持ち三ヶ条抑えです。
下記二本の動画を見てみましょう。
1.胸持ち三ヶ条抑え(一)
2.胸持ち三ヶ条抑え(二)
なお、胸持ち三ヶ条抑えの座り技は、
現状では動画がありません。
下記の動画も参考にしながら、
稽古して下さい。
【1】胸持ち二ヶ条抑え
【2】座り技胸持ち三ヶ条抑え
【3】片手持ち側面入り身投げ(一)
【4】片手持ち側面入り身投げ(二)
胸持ちの技は、肘締めと二ヶ条抑え以外は、
仕手受け相対の動画がないので、
どうしても分からない方は、
基本コースの技を完璧にできるようにし、
日程を調節して、
私が運営している埼玉県蕨市民体育館の道場に
来るようにして下さい。
また、上記【3】の片手持ち側面入り身投げ(一)は、
本部の指導員の演武の技の中に、
すぐに見つかると思います。
【3】の動画を見れば、
(一)の動きくら(二)の動きは分かるかと考えられます。
①”Lower your hips straight down,
placing your left knee
next to your right ankle.
Be careful not to let
your hips move back. “
「構えたまま
真っ直ぐに腰を下げ、
左膝を右足踵近くにつける。
この時腰が
後方に引きやすいので、
充分注意し行う。」
②”Whoever is steadfast
in righteousness will live,
but whosoever pursues evil
will die.”
悪を追い求める者は
死を招く。」
(箴言11章19節)
合気道の呼び名について、
お話し致します。
21世紀初めの時点で
「合気道」と言えば、
一般的には植芝盛平の
興した合気道を指すのですが、
実は「合気道」の名を
用いたのは盛平が最初ではなく、
「合気道」という名称には
“合気系武道(・武術)”全般を
通称的に指し示す
普通名詞としての一面もあります。
「植芝流」「相生流」
「合気武術」「大日本旭流柔術」
「皇武道」など
目まぐるしく変え続けましたが、
ようやく1936年頃から
「合気武道」で定着しだしました。
盛平は自他共に認める
「忠君愛国の士」でしたが、
大東亜戦争の
開戦・継続には批判的でした。
その精神を封殺しただの
戦闘技術としてのみ
軍に供せねばならない
矛盾に耐えつつ、
憲兵学校武術師範等の職務を
篤実に務め続けました。
外郭団体・大日本武徳会の統制化に
入ることになります。
盛平率いる皇武会も
その例外ではありませんでした。
一代で育て上げた
自らの武道に
強い誇りを持っていた盛平にとって、
この統合は不本意なものでした。
統合にあたり、
盛平は武徳会から
「総合武術部門」設立についての
協力要請を受けましたが、
これに対し皇武館道場の
「総務」として渉外を
担当していた門人平井稔を推薦し、
同時に自らは
老齢や病を表向きの理由に
各団体顧問・軍での
武術指導など
一切の公職を辞し、
東京の皇武館道場を
息子吉祥丸に任せ、
妻と共にかねて土地を買い集めていた
茨城県岩間町に隠遁しました。
平井は盛平の委任を受け、
大日本武徳会の幹事に就任しました。
“総合武術”
(体術・剣術などを総合的に扱う武術)
として制定された
「大日本武徳会合気道」が
固有武道名称として
初めて確認できる
「合気道」となりました。
「合気道」の命名は、
講道館から武徳会役員となった
久富達夫が
主唱したことを
平井が証言しています。
この時久富は、
「総合武術部門は
剣杖などの要素も
包括的に含めたい。
そのため従来から在る
各武術流派との軋轢を
生じさせぬよう、
特定流派を連想させず、
当たり障りのない
柔らかい印象の名前が良い」として
「合気道」を提唱したということです。
吉祥丸・守央・合気会の著作物では
「1942年武徳会への
統合に際して、
盛平は正式に『合気道』の呼称に
統一すると宣言した。」
としています。
しかし一方、
盛平や門人の奥村繁信は
「合気道と名乗ったのは戦後だ。」
と述べています。
吉祥丸・守央の著作からも、
武徳会合気道部への統合には
相当の抵抗感があったことが
記されており、
受け入れられていたか
どうかについても
前記の通り証言に食い違いがあります。
翌年GHQ(連合軍総司令部)の
命令により
大日本武徳会は解散します。
平井は大日本武徳会合気道を
受け継ぐとして
「光輪洞合気道」を興しますが、
盛平の武道とは別系統の、
平井独自の武道であるとしています。
盛平が正式に「合気道」の名称を
用い出した時期として
確実なのは、
1948年2月9日、
財団法人合気会の
文部省による認可の時点です。
合気会認可直前は
「武産合気(たけむすあいき)」と
称していたとする証言があります。
「合気道」を名乗った
経緯について、
盛平は生前
ラジオのインタビューの中で、
文部省の
「中村光太郎」という人物に
勧められたからであると語っています。
武術的な
勇ましさを主張しない
「合気道」という名称は
好都合でした。
なお、
明日からは
少林寺拳法について、
ご紹介していきます。
(2020年11月29日日曜日)
上級者と初心者別の合気道技一覧・上級者は応用技と変化技の稽古
上級者と初心者別の合気道技一覧・上級者は胸持ち三ヶ条と四ヶ条
稽古第百八十五日目の本日は、
私なら下記のようにスケジュールを組みます。
1.ひりきの養成(一)(二) 相対動作 1人5分 × 2人
2.胸持ち三ヶ条抑え(一)(二) 相対動作 5分 × 2
3.座り技胸持ち三ヶ条抑え(一)(二) 相対動作 5分 × 2
4.休憩 5分
5.後技両肩持ち小手返し 相対動作 5分
6.後技両手持ち一ヶ条投げ 掛稽古 10分
7.後技両肘持ち正面入り身投げ 掛稽古 10分
8.終末動作(一)(二) 相対動作
上級者の稽古の場合、
大方ざっと稽古は、
こんな感じになります。
最初に相対動作を一人5分ずつ行い、
次に基本技を5本ほど5分ずつ
行っていきます。
掛稽古で行う投げ技は二つです。
ここで一時間の稽古一コマ終了で、
終末動作を相対動作で行って、
締めくくります。
上級者と初心者別の合気道技一覧・上級者は応用技と変化技の稽古
上級者と初心者別の合気道の技一覧・初心者は片手持ち二ヶ条抑えのみ
これに対し、初心者の稽古は、
体操から始まります。
体操を5分行ったら、
体の変更(一)(二)と
ひりきの養成(一)(二)を、
単独動作で10分程度行います。
その後、片手持ち側面入り身投げ(一)を
15分程度行った後、
5分休憩し、
次に片手持ち側面入り身投げ(二)も15分程度行ってから、
(一)(二)を5分間復習した後、
残りの10分程度で
また基本動作を行いますが、
稽古終了時は必ず
終末動作(一)(二)を行います。
上級者と初心者別の合気道技一覧・上級者は応用技と変化技の稽古
本日、第百八十五日目の上級者の技は、
胸持ちの技です。
胸持ちの三ヶ条抑えと
その座り技で行います。
上級者と初心者別合気道技一覧・上級者は難解な後技の投げ技の稽古
さて、本日第百八十五日目の上級者が
稽古するのは、投げ技です。
後技両肩持ち小手返し
後技両手持ち一ヶ条投げ
後技両肘持ち正面入り身投げ
上記三つは、
いずれも難解な技になりますので、
基本技と合わせて、
しっかり理解しておく必要があります。